まず、ここまで来てしまった戦後からの住宅と木材業界の経緯を検証してみます。
戦後間もない頃、木材の流通源流はもちろん国内林業にありました。
すっかり荒れ果てていた山(※1)に、戦後復興の貴重な資源として、まず全国一斉に杉、桧などの建築用材となる針葉樹の植林が押し進められました。この時、それまでの混合自然林(※2)もかなり人工林に変更されていったようです。これは、それまで自然林から採取した薪や炭が主材であった生活用の燃料も、今後は一斉に電気やガスに変更していこうという国のエネルギー改革の大きな転換政策にも合致していたようです。
※1
第二次世界大戦時、日本は海上封鎖され、石油や鉱物が手に入らないため、国内の木材資源が民間での使用制限、すなわた国の統制令を受け、航空機、造船、建材、燃料等に大量に森林が伐採され消費されていった。この期間人手不足で森林再生ほの植林には手が付けられず、戦前まで可能だった森林区域はすっかり荒地となっていた。大戦末期、大都市は空襲による木造建築物の多くが消失し、戦後の木材不足は深刻な状況になっていた。
※2
建築用材として人工的に植林を進めていた針葉樹中心の森林(人工林)とは違い、広葉樹と針葉樹が自然のまま混在する森林をここでは混合自然林と表現する
国有林はもちろん、民有林に対してもそれは国策として励行されました。
木材市場は一気に活況を呈しましたが、植林した樹はまだまだ伐採期に至りません。そこで圧倒的に不足する住宅事情を抱え、政府は木材輸入を少しずつ緩和し、ついに1964年木材の輸入を全面自由化します。
このころ住宅業界は団地型集合住宅を量産し、1970年代に入るとマンションブームとなり、宅地造成工事と分譲住宅ラッシュになります。輸入木材は一気に全国に広がり、内地材の相場は崩れていきます。それでも地方ではまだまだ昔ながらの和風住宅が求められた為、内地材は一定の需要があり市場にも結構流通していました。
このころから合板ベニヤがすっかり一般化され、これらの技術を駆使して新建材と称される合板下地にプリント紙や単板を貼った床材や内装材が流通し始めます。続いて石膏やスレートの屋根材や外壁専用の商品も登場してきます。
追いかけるように金属製品やコンクリート製品、その後樹脂製品もいよいよ登場し、住宅の内外装は木材や土壁に代わってこれら工業製品がたちまち席巻していきます。
1980年代からはツーバイフォー住宅やその他の北欧風の輸入住宅も上陸し、内部仕様は益々洋風化に移行し、新たな色とりどりの建材が生まれてきます。
そのころ、木材林業は内地材の需要低迷と相場の落ち込みで、各森林組合も深刻な状況にありました。山麓の製材所(※3)の一部は閉鎖に追い込まれ、内地材から外材丸太挽きに転向していく工場も増えていきます。林野庁は戦後植林した国有林の間伐材の用途に困り果て、住宅や各業界に提案を募り、一方、民有林ではほぼ間伐もできず放置状態に陥ります。
※3
国内の人工林から刈り出される丸太材は、森林組合などで集積され、地元の組合などの原木市によって競り落とされ、山麓付近の製材所は内地材である杉やヒノキの建築用材を製材して商品化し、その製材された製品を都市部の材木市場に運搬して、材木問屋や流通業者に販売委託するのが本来の流れであったが、内地材が暴落して採算が合わなくなったため、生き残りの手段として、逆に輸入丸太を川下の港湾まで買い付けにいって、山麓の製材所まで運んできてそれを製材して、もう一度都市エリアに売りに行くといった現象がこの頃から始まった。
1980年代に登場したプレカット工場(※4)は輸入材を主材にした構造材を使って大手ハウスメーカーと連携して量産体制に入ります。バブルが崩壊した90年代に入ると、プレカット工場はさらに全国に広がり、それまで木材の継ぎ手を自ら手加工して家を建てていた大工達は急速に減っていきました。
2000年代、住宅は益々工業化を目指し、ハウスメーカーは工期短縮と仕様の統一を図ります。プレカット工場の構造主材も変形の少ない集成材が登場し、広まっていきます。建材メーカーも競争激化の中にあり、分厚いカタログで販売網を広げ、ネット販売も始まりました。一部商社は輸入建材や特殊な輸入木材の取り扱いに走りだします。また、大型ホームセンターが各地で登場し、施工店相手の木材、建材、金物、道具も売り出します。このあおりで国内の木材問屋や木材販売店、金物店などの廃業、倒産、転業が相継ぎます。
※4
住宅の構造用木材は、かつては大工が国内材を中心に自ら墨付けして、それぞれの木材の継ぎ手加工を施して建て方まで施工していたが、住宅の量産と合理化、さらに品質の均質性が求められると共に、柱や土台、桁、小屋組等、構造用木部材は全て大型機械による自動加工機が導入され、とれは輸入材木と共に外国から入ってきた技術と機械であったため、輸入材木を標準仕様としたプレカット工場という大型加工工場がこの時期に出現してきた。
一方、国内の林業は一斉に伐採期が近づいているにも関わらず需要の低迷は続き、伐採した丸太はパルプ、チップ用材として多く転用されていきます。
2010年代に入ると国内の伐採木材は集成材にも使われるようになり、バイオマス需要(※5)、さらにCLT用材(※6)にも内地材が転用されはじめ、今まで柱や梁材を大きな丸太から綿密に計算して木取り(※7)を進めてきたかつての製材技術もこの流れの中では特に必要とされなくなり、各製材所も体制の見直しと共に今では後継者問題が深刻化しているようです。
※5
バイオマスというのはその地域に生息する生物の総量を指すが、ここでは木質バイオマス発電への需要に材木が燃料として多く使われているという意味。間伐材等、森林の未利用資材を火力発電用燃料に使うことで低迷する山林地域への経済効果をねらった政策から始まった。
木をボイラーで燃焼させて高温高圧の蒸気を発生させてスチームタービンを回転し、発電させるという方式が主となっている。材木という燃料を調達し続ける必要性が高まり、今後商業ベースで稼働していけるように、森林資源を発電燃料用として持続的に再生していく体制をつくろうとしている。材木だけでなく家畜糞や食品廃材、トウモロコシなどの農産物もバイオマス資源とされているが、これらは森林破壊問題や食料用との競合問題も指摘されている。
※6
Cross Laminated Timber(クロス、ラミネイティド、ティンバー)の略
板を並べて一層ずつ互いに直交するように積層接着した厚板パネルの事2013年に日本農林規格として制定され、現在その強度に人気が集まっている。
※7
この場合の「木取り」の意味は製材所が一本の丸太から木目の良い一番良質な木材の取り方と同時に、無駄のないように効率よく様々な部材を取っていく方法を製材前に予め割り付けていく「製材木取り」技術の事です。
昔の大工が建築用の構造部材や銘木に使う木を製材所や木材店に行ってどこにどの木を使うか材木を選ぶのも「木取り」と言いました。
プレカットが普及してからはこの工程は無くなりつつあります。
一般に製材木取りも建築木取りも同じ「木取り」という言葉で、昔の材木店はその場の相手と話の内容で暗黙に使い分けをしてきました。
これが戦後から現代までの住宅事情と木材流通、国内林業が歩んできた70年の激変の歴史です。簡単にざっくりと追ってみましたが、こうして歴史をなぞっていくと、戦後のひっ迫した住宅事情の問題解決と、急速な経済復興を目指した日本にとって、国内林業と木材流通業界を犠牲にしてきたのは、避けられなかった事情なのかもしれません。
高度成長期の住宅の量産体制への対応力は、ある意味、輸入木材と建材メーカーのお陰で
達成できたことであり、当時の多くの人達の夢であったマイホームを実現させた原動力にも大きな役割を果たした事は間違いありません。
ただ、時代の流れでその後、仕方なく縮小していった業界や、消えていった業種、業者や職人たちはともかくとして、この半世紀で起こった「ツケ」が今、結果として現代社会の中でどのような実態になっているかを、ここで、きちんと整理しておく必要があります。
でなければ、この流れを放置したままの延長線上には、取り返しのつかない大きな社会問題が待ち受けているような気がするのです。
(戦後からの年表一覧)
住宅、木材、林業 各業界別
「木の文化」は、まだ生きている
1、何故、木材は使われなくなったか no.3
「戦後からの住宅事情と林業の変遷」
文筆 和のトラスと伝統を学ぶ会 副代表 飴村雄輔
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